大 阪 市 総 合 博 物 館
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デザイン史「八九十」
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 韓国デザインの発展は1980年代から本格化したといわれている。1970年代までは西欧のデザインをそのまま輸入したり、近隣の日本からデザインを模倣するという段階から脱することができなかったのが事実である。この様な状況は1980年代にオリンピックを誘致する段階から変化しはじめた。韓国デザインのアイデンティティを探す運動が生まれたからである。1986年のアジア大会、1988年のソウルオリンピックの開催にともなって韓国的アイデンティティが確立されはじめ、新しい現代的デザインが定着していった。この様な現象は1990年代から2000年代まで続く大規模なデザインおよびスポーツ行事を通じて、世界の中での韓国デザインを確立することになる。
1)1986 Asian Games - 環境デザインの台頭
2)1988 Seoul Olympic Games - 韓国的デザインの台頭
3)1933 Daejun Expo -コンピュータの大衆化時代開幕
4)2001 ICOGRADA Congress - ミレニアム時代の開幕/付き合い
5)2001 ICSID Congress - グッドデザインフェスティバル
6)2002 Korea-Japan World Cup - 夢はかなう/アジアの自尊心
7)2002−2003 VIDAK Annual - 名実共に韓国現代デザインの集大成

 1980年代から1990年代そして2000年代と時を経て、活動の主役は徐徐に新しい世代のデザイナーたちへと交代していった。日韓ワールドカップ以後コンピュータを自由自在に扱いながら、インターネットを通じて世界と繋がる世代の流れが新しい世代を形成しはじめたのだ。このような現象は、韓国最高水準のグラフィックデザイナーたちが作品を集めて発行した「VIDAK 2002-2003」によく現われている。国内中堅グラフィックデザイナー110人が参加したこの年鑑で、審査委員たちが選んだ10人のデザイナーたちを見れば新しいデザイナーたちの姿が見えてくる。 60年代生まれが7人を占めているのだ。中堅デザイナーたち自らが後に引いて後輩たちに席を譲りながら、新しい世代たちの活動の章を用意してくれたのである。

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 その誕生以来、韓国グラフィックデザイン界は常に変貌しているが、近年の特徴と変化をよく見れば次のように整理することができる。

 産業資源部所管のKIDP(韓国デザイン振興院)では、振興政策の方向と規模を国内のデザイン振興にとどまらず、海外進出する企業のデザイン支援業務やまたは海外に進出するデザイン会社にも支援することを打ち出している。グローバル時代にふさわしい、世界とネットワーキングして世界に出て競うデザイン振興政策に変化しているのである。 2000年ICOGRADAソウル総会と2001年ICSID総会開催そして2002コリアポスタービエンナーレの開催はこのような政策の実績といえる。

 2001年建てられた韓国デザインセンターは名実共に韓国デザインメッカとして着実にその地位を固めている。に席を取って行っている。KIAPを含めて各デザイン団体、ベンチャー企業、カンファレンスルーム、大型展示場などが1ケ所に集まっていることにより效果をあげている。つまり機関、企業体、デザイン施設が集結されることでデザインメッカとしての機能を果たしているわけである。現在進行中のデザイン体験館の完成と周辺の基盤施設が完全に定着していけば、今よりもっと充実したメッカの役割遂行が可能と判断される。

 今までその地位に安住してきた大学が変化している。デザイン学科も大学別に評価を受けてその結果が公開されるようになり、存続をかけた投資と発展のための努力を強いられている。学科はますます増える一方、新入生は急激に減少しており大学にも生存競争の法則が適用される時代が到来したといえる。「富む者は益々富み、貧しき者は益々貧する」の具現化がデザイン大学にも現われている。デザイン関連の大学教育の発展と韓国デザイン界の発展は連結しており、大学教育評価は效果面での肯定的な評価を出することができる。昨日の最高が今日の最高ではなく、昨日の最下位が今日の最下位ではないところに、大学の変化を見てとることができる。

 グラフィックデザイン分野でしばらく低調だったハングルタイポグラフィ運動が、再び活発になってきた。デジタル時代に相応しいハングルづくりは、今は魚が水を得たように活き活きと行われている。ハングル字形開発はすでに安定期に入っており、数多い書体がつくられ使われている。今現在でも字形開発は休まず行われている。これと共に各種媒体を活用したハングルタイポグラフィの多様な活用性は、注目する価値がある変化のひとつである。正直なハングルを挑発的に使う道が模索されている。
 2000年代はじめ、暴風のように降り注いだウェッブデザイン分野の飛躍が数年で去り、今はさざなみだけの静かな湖に変わってしまった。これからは必要な人材のみが席を得る雰囲気が形成された。これまでの爆発的人気もデザイン報酬の低下により、デザイン会社自体が撤退する現象も現われるようになった。結局、求人の問題よりも人材供給の面で限界に達した。基本的にグラフィック分野への進出は変わらないのに対して、ウェッブデザイン分野は雇用創出が限界に至っている現状である。

 マシマロとジョルラメンに引き続いて出てきたホールメン。このようなキャラクターはキャラクター開発専門家たちによって開発されたのではない。無名デザイナーやまたは専門家でない人たちが、趣味生活の中で開発したキャラクターたちである。しかしこのような面白いキャラクターたちが仮想空間であるサイバー上を騒がせながら、爆発的な人気を呼んで新しいスターになった。ワンソース・マルチユース(One source multy use)の役割を現実にこなし、コマーシャルでも大成功をおさめることで、意外なデザインも良いもてなしを受ける時代になった。平凡なデザインではない飛んだデザイン、不快なデザイン、新世代たちが既成世代と競って勝つことができる力はここに出てきている。

 韓国視覚デザイン界は近年「VIDAK2002-2003」という年鑑を発刊することで、グラフィックデザインの水準を一段とアップグレードして世界水準の能力を披露している。このようなすぐれた年鑑が無かった今までの視覚デザイン界に、最高水準のグラフィックデザイナーたちが集まっている(社)韓国視覚情報デザイン協会(VIDAK)の野心的なプロジェクトで発刊した年鑑は、世界に出しても遜色ない水準を維持している。協会が公式的・合理的な方法による徹底的な審査を行い厳選された作品を集めることで、この年鑑は韓国デザイン界の水準を代弁するものとなった。韓国デザインは全ての分野でまたたく間に世界と肩を並べて競争する段階に至っているといえよう。


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